気まぐれ日記 2016年2月
2016年1月はここ
2月1日(月)「特別な2月がスタート・・・の風さん」
長かった1月が終わって、1年でも最も短い2月になった。今年の2月は特別な2月になりそうだ。
朝から薄曇り。今日は病院で検査を受けるので、絶食である。それほど空腹を感じないのは、普段から栄養十分だからだろう。幸せ過ぎるというか贅沢なことだ。水だけは飲んでよかったのだが、それすら気にせず、出発する時刻になった。外での用事をまとめてするため、持参物も多い。今日はゴアテックスのブリーフケースにした。
キャメロンで余裕をもって出発。運転できる幸せをいつものように感じながら、スポーツカーの走りを満喫。
1時間半で病院に着いた。身長・体重・血圧測定からスタート。採尿も。上体のレントゲン写真をさまざまな角度から撮影。あと心電図と血液検査。入院の説明を看護師から受けて終了。これが今月最後の週に予定されているので、今月は特別な2月になるのだ。
ここまで時間が経過しても、空腹でつらい、ということはなかった。コンビニに寄ってパンとコーヒーのランチ。360円ほどだ。
銀行に寄って通帳記入。特に気になる動きはない。
続いて郵便局に寄って、郵便物を5通投函、送金と通帳記入。順調。
それから歯科へ行き、定期健診。早く着いたのだが、予約より30分早く開始してくれた。いつものように歯石除去をしてもらった。
帰りに大型家電量販店で買い物。次にガソリンスタンドで灯油を購入。値段に変化はない。
帰宅した時はもう真っ暗だった。
長女はいったん名古屋に帰って、いなかった。
2月2日(火)「ペコのぐりぐりは心配なし・・・の風さん」
掌編小説の再校ゲラに挿入する地図がちょっと厄介だったので、昨夜から着手し、今日の午前中に自作した。自分で地図を作成していて、原稿の間違いにも気付いたため、修正して再校ゲラも返送した。
今日は暖かくなりそうだった。昨日購入した灯油を2缶、屋外タンクへ移した。90リッター入るタンクなので、それで満タンにはならない。
昼食後、飼い猫のペコをワイフと獣医のところへ連れて行った。腹部にぐりぐりがいくつかできていて、長女も心配していたため、診察してもらった。クルマの中では鳴き続けていたペコだったが、診察が始まったら観念したのかおとなしかった。
結果は、心配ないとのことだった。なにしろ、診察中に、獣医がそのぐりぐりをつまんで引っ張ったらとれてしまったくらいだから(笑)。肥満の脂肪が体外にあふれ出たのかもしれない。しかし、ペコも今年12歳か13歳になるらしく、そろそろ更年期ではある。
帰宅したあと、今度はお寺に墓参に行った。年明け以来だったかもしれず、供花を換えて、墓石もよく拭いておいた。墓地から眺める田園風景は格別で、今日もうららかな陽気の中、心安らかになった。
今日は来週の講演の配布資料の作成に取り組んだ。
2月3日(水)「また忙しくなりそう・・・の風さん」
庭の梅が咲き始めた。桜より2ヶ月近い開花。何年たっても花が咲くというのは立派なものだ。人間は見習わねば。
今日もコツコツとマイペースでやろうと思って起きた……が、左肩があいかわらず痛い。
朝食後、リンガフォンのユニット48を聴いた。あと12だ。
来週の講演用の配布資料を、丹念にリファインして、完成させた。メール添付で送付も完了。講演資料もしっかり考えて作ろう。
時間的なゆとりがあるときは、本や雑誌を読むことができる。読みかけの本と雑誌を読んだ。
確定申告が近付いている。この準備も始めなければならない。昨年以来、その前年と似た生活をしてきたので、同じような申告になるといいのだが。
大中先生の新刊をkindleへダウンロードした。英語で書かれた本なので、読むときは覚悟が必要だ。
さては次は、と思っていたところへ、セミナーの仕事が飛び込んできた。今年はないものと思っていた案件だ。教える内容はちょっと新しい。準備に時間がかかりそうだが、予定は5月である。ちょっと大変かも。
これからのスケジュールを総点検してみた。かなり大変かも。
2月4日(木)「初めてのセミナーのプログラム案・・・の風さん」
昨夜ワイフが節分の豆まきを屋内でしたので、フローリングに残っていた豆をうっかり踏みつぶしてしまった。
今日は組内のゴミ集積場の掃除当番だったので、自ら志願して掃除してみた。きれいだった。ほとんどやることはなかった。
午前中、キャメロンで出かけた。薬局でジェネリックのロキソニンを買った。左肩の痛みが悪化する一方である。ロキソニンで痛みがおさまったら、強制的に動かしてみるつもりだ(実は、薬効がほとんどなかった)。かかりつけの病院へ行き、血圧の測定記録帳をもらった。前の記録帳がいっぱいになったからだ。次に、ホームセンターへ行き、色々な品物をチェックして歩いた。老人がやることは多い。
帰宅したら、予定通り、代引きの注文品が届いた。便利な世の中だ。
5月の1日セミナーがほぼ確定したので、そのプログラム案を考えた。初めての内容なので、手持ちの参考資料を引っ張り出すところから開始した。これはまとまっていなかったので、あちこちから探すことになった。特殊物入れの点検が一番厄介で、高い所からころげ落ちそうになったほど頑張ったのに、結果、収穫はゼロだった。
それでも、想定外の資料の中に重要な情報が入っていて、自分なりのプログラム案(工程管理の実際というのが私のオリジナルになる)を作ったら、何となく自信が出てきた。しかし、資料はほとんどこれから自分で作ることになる。かなり時間がかかりそうだ。
そうこうしている間、ワイフがJDPA(トール関連の協会)の役員資料をExcelで作成するサポートをした。会計の計算があり、私は得意なので、難なく作成できた。
できたセミナーのプログラム案を、早速事務局へ送付し、今日の仕事を終了させた。明朝は早起きしなければならない。
2月5日(金)「トヨタ見学から同窓会まで・・・の風さん」
最寄りの駅7時12分発の特急で生産技術マネジメント研究会の工場視察に出かけた。あまり効果は期待できないが、ロキソニンを服用した。それから、販売しようと、『トコトンやさしいコンカレント・エンジニアリングの本』を8冊カバンに入れた。
電車を2回乗り継ぎ、最後はバスで、トヨタ自動車高岡工場に着いた。2年前にも見学に来ていて、その後完成した2号ラインが見られるのではないかと期待していた。
2号ラインは、自動車の組立ラインでは珍しい量変動対応ラインである。残念ながらまだ一般公開はしていなかったが、内容を教えてもらったので勉強になった。工程をばらしたり集約したりするとき、柔軟性のネックは設備である。天吊りや頭上にある設備を移動させるのは難しいが、床面に置くことにすれば移動できるようになる、というのが着眼点だった。たとえばパワーアシストの装置(ペンダントで操作できるミニクレーンのようなもの)を廃止して、床走行タイプの搬送装置を開発しているのだ。
あと、今日は、異常発見時のひもスイッチをしっかり観察することができた。作業者がひもスイッチを引っ張ってもすぐラインが停止するわけではなく、あんどんの黄色いランプが点灯して管理者を呼び、その管理者の判断でライン停止になるのだそうだ。もちろん非常停止ボタンは別にあるとのこと。
愛知製鋼の爆発事故のために材料切れとなり、来週はトヨタのラインが停止する。見学が来週でなかったのはラッキーだった。しかし、事故からライン停止まで約1ヶ月なので、途中で部品加工をする仕入先含めて、その間のリードタイムは約1ヶ月ということだ。
見学後、元町工場へ移動した。昨年はレクサスLFAが展示してあり、遅れた私はエンジン音を聴くことができなかった。今年はどうかと思ったら、LFAはなかった。ここでは燃料電池車が組み立てられているが、私はそれに興味はほとんどない。
研究会、昼食、チームミーティングを終えて、持参した本の販売を試みたところ4冊売れた(当研究会ではこれで実売が通算15冊)。
予定より50分も早く研究会が終わったので、今夜の飲み会会場のある刈谷にずいぶん早く着いた。
飲み会は、かつての職場の送別会で、OBも呼ばれているので、ちょっとした同窓会だった。
コーヒーショップで時間をつぶしてから会場へ向かった。
やはり同窓会は楽しい。会社の現状も知ることができ、有意義だった。『トコトンやさしいコンカレント・エンジニアリングの本』も4冊売れたので、今日は完売。
電車を乗り継いで、11時近くに帰宅し、そんな遅い時刻でもコーヒーを淹れてひと息入れるのは私らしかった。
2月6日(土)「地域の行政の問題・・・の風さん」
左の肩から腕の痛み対策として、トクホンチールを塗ってみた。ついでに首には磁気ネックレスを。その代わりロキソニンは中止。
朝食後、集会所へ行った。区長選挙の開票作業があるからだ。公正を期するためだろう、全組長立ち合いのもと(実際は手伝いをしながら)開票、集計作業がおこなわれた。こういった地方のやり方は、日本に限定してみても、昔はどうだったのだろう。現時点に限定しても、世界の主要国はどうやっているのだろう。おそらく千差万別に違いない。
ある雑誌に書いてあったが、フランスの場合、国家が掲げるイデオロギーとイスラム教は対立するという。ある本によれば、世界の主流は父系制度だが、先進国から猛烈な勢いでそういった秩序が変化している。父系制度の国から先進国へ流入した民族は、大いにとまどう。自由・平等というと聞こえは良いが、誰でもすぐに受け入れられるわけではない。まだそれになじめない国や民族は世界のマジョリティなのである。
地域の小さな行政でも難しいことはたくさんあるが、グローバル時代、国家と国家(あるいは国家と認められていない地域)の付き合いは、きわめて難しいということだ。まして連携したり統合したりして運営する(行政の)話になると超難題だ。
もうすぐ組長業務は終了する。次期組長にしっかり引き継がねば。
昼食後、裏の土地の石ころ掘り起こしの続きをやった。クルマの進入路に雑草が生えるようにするため、石ころを拾いながらあれこれと考える。それにしてもこの土地は砂利だらけである。いわゆる荒地。昔こういった土地を耕して畑にしたという話があるが、大変な苦労だったろう。
今日から6月のセミナー(5月のとは違う)の内容の検討に着手した。週明けに案内チラシの原案を送らねばならない。一番大事なのはセミナータイトルだ。実はCEのセミナーなのだが、まともなタイトルでは集客できない恐れがある。だから、先ず、アッピールするタイトル。次に大事なのは、分かりやすそうな、つまり受講すればどんどん吸収できそうな、内容構成である。
2月7日(日)「裏の土地の移植作戦・・・の風さん」
日曜日である。私は1年365日、24時間、変わりない生活(休みでもあり仕事でもある)をしている、とうそぶいているが、それは会社員として現役だった頃の論理であり、定年退社した現在、それは単に「天につばしている」だけなのではないか、と思い始めている。つまり、仕事も休暇も自己管理できない、何歳になっても書生気分が抜けない愚か者。
日曜日は、そういった自分を反省する良い機会だ。
我が家の玄関わきに亡父が植えてくれた椿がある。近所のご主人がやってきて「メジロが来るんじゃない?」と聞かれた。確かに、庭の梅の木にはよくメジロがやってくる。ということは、この椿にもメジロが飛んできているに違いない。花の蜜を吸いに。
近所のご主人が来たのは、昨夜の悲劇を伝えるためだった。ご主人は順番からいって次期組長だったのだが、抽選で役員に選ばれてしまい、次期組長はさらに順番でお隣さんになったという。組長業務の引き継ぎのやり直しだ。
昼食後、この引き継ぎに行き、説明した結果、パソコンで作成した方がよい資料を私が代わりに作成することにした。
その後、裏の土地の駐車場に行き、石ころの除去をしながら、クルマの進入路の問題対策を考えた。今日の結論は、雑草が生えている区域の地面を削り取って、この進入路に移植することだった。行動に移して驚いた。雑草が密集している区域は、石ころがほとんどなく、土は黒々として肥沃だったからだ。
進入路は土建屋に削り取ってもらって作った。だから土地の表面とは違う断層が露出しているのだ。まるで破砕帯のような厄介な断層だ。うまくいくかどうか分からないが、肥沃な表面をはぎとって移植する方法は、アイデアとしては理にかなっている。
長女が帰省してきた。就職試験を受けるために、うちで履歴書を作成するのだという。昨日までワイフのExcel作成をサポートしたが、今夜は長女の履歴書作成のサポートをした。
色々な雑務をこなしながら、今日は、5月と6月のセミナーの構成案を完成させて、それぞれ事務局へ送付した。
2月8日(月)「移植作戦の2日目・・・の風さん」
シャバは今日から仕事が始まる。しかし、私は例によって朝寝坊。罰として朝食抜き(^_^;)。
愛知製鋼の爆発事故の影響で、今日からトヨタ自動車の操業が6日間止まる。想定外の休業が起きた場合は、これまでの経験から言うと、残業や振り替え(あるいは休日)出勤で挽回する。効率を落とさないように努力するが、ある程度は止むを得ない。この3月末の決算には影響が出るが、次年度の決算にはそれほど大きな影響はないと思う。
昨年の秋に、我が家のピアノプレイヤーが修理と調律で復活した。せっかくなので、自動演奏ソフトを一つ発注した。このソフトは、2DDフロッピーディスクを使用していることなどから、基本的にもう製造販売は停止している。特殊ルートを用いての購入だけである。商品は安価だが、代引き含めた手数料が割高である。
昼食後、雑草の移植の2回目を実施した。昨日移植したところがすべて枯れていた、ということはない。散歩感覚でたらたらとやっているので、完成まで相当の日数を要するだろう。途中で土地の周囲、勾配になっている法(のり)面は防雑草シートで覆うつもりなので、これはなるべく早く実施しなければならない。小屋の整理もあるし、屋外作業はたくさんある。
iCloudの無料の容量がいっぱいだという警告が出てから、写真データを毎日少しずつ別置きハードディスクに移す作業をしている。まだ完了していないが、もう警告は出ない。2013年撮影分はすべて移動し終えた。2014年分もあと少しだ。Cloudは便利だが、容量アップのために毎月の個人支払いが起きるのは防がなければならない。若い人と違って、家族へ迷惑をかける危険性が年々高まっているからだ。
昨日完成させて送ったセミナーのプログラムやパンフレット案に対する返信がなかった。
今日最後の仕事は、週末の講演会で販売する拙著へのサインだった。
2月9日(火)「サンダーボール作戦・・・の風さん」
今日はゴミ出しの日なので、少し早く起きたが、玄関に出しておいたゴミ袋はワイフがさっさとゴミ集積場へ持って行ってしまった。
朝からどんよりしていて寒い。ワイフの情報(遠くに住んでいる知人からの知らせ)によると、岐阜では雪がちらついていて、名古屋では雨が降り出したという。ここはまだ曇りだ。
午前中に雑務をせっせと処理した。
昼食後、普通なら裏の土地での雑草移植大作戦となるのだが、寒い上に強風が吹き出しているので、今日は中止することにした。
その時間を何に使うか少し迷ったが、懸案事項だった執筆マシンの、CD/DVDマルチドライブの戻らないトレイ問題の解決に挑戦することにした。執筆マシンの本体は縦置きタイプで、CD/DVDマルチドライブは縦に駆動する。トレイが何かに当たって戻らないのは、挿入したCDがどこかに残っている気がしていた。ただ、懐中電灯で中を見ようとしても見えないので、もう分解するしかないと思っていた。ネットでは、修理業者へ出せ、と出ていたが、その前に、自分でできる限りのことはしたかった。
すべての接続ケーブル類を外して、床に横に置いて、慎重に作業に取り掛かった。分解はメモリの増設(現状16GB)のときに一度経験しているので、そこまではやれるはず。手順書も確認してある。
ドライバーでねじをゆるめ、カバーを外し、本体を膝の上に置いて、トレイを押したり引いたりしているうちに、するすると中に引き込まれた。これなら電源を入れたら、うまく動作するかもしれない。そう思って、電源コードをつなぎ、トレイの引き出しボタンを押したら、なんとCDと一緒にトレイが出てきた! やはりCDが奥で脱落し、そのまま残っていたのだ。
すべての接続を元に戻し、電源を入れて動作確認したら、問題はなかった。これからCDの操作は慎重にやろう。
これで調子が出たので、依頼業務の一つに手を付けることにした。昨年4月の講演録である。いざ取り掛かってみると、録音から起こした原稿が大問題だった。私が冗長な喋り方をしているため、忠実に作成された原稿を直すのが大変なのである。
夜遅くまでやって半分もできなかった。
疲れた。
しかし、ネットで面白いものを発見した。私は幸か不幸かアマゾンのプライム会員なので、たとえばビデオは見放題である。007シリーズ23作品がネットにアップされていた。私が最初に観たのは「サンダーボール作戦」で、1965年。小学校高学年のときである。生意気なガキだったのだ。とにかく映画を観て感動した。それから007の大ファンになってしまった。途中で一度、テレビの洋画劇場で観たことがあるが、それ以来だろう。早速観ることにした。
胸躍る、とはこのことだ。しかし、見始めたのが遅かったので、残りはまた明日だ。
2月10日(水)「007は二度死ぬ・・・の風さん」
起きてすぐカーテンを開けた。昨日より風はおさまっているように見えたが、気温は低そうだ。
いつものように雑務から着々とこなす。
気温は上がるどころか、風が強まって冷え込んできた。
無理して風邪でもひいたら大変なので、自重し、仕事を進めることにした。
先ず、昨年4月の講演録の校正を最後までやり遂げようと思った。
しかし、まったく屋外に出ないのも情けないので、灯油の屋外タンクのチェックをし、小屋(4つある中の2番目に大きいやつ)の中の整理だけはした。ここは最終的に捨てるものだけにし、小屋そのものもかなり痛んでいるので、最後は分解して廃棄する予定。
雑務をすべてやり尽くし、講演録の校正も完了した。
そこで、昨日に続いて007の映画を観ることにした。子供のころ、2番目に観た「007は二度死ぬ」である。私は007シリーズは原作すべて読んでいる。このタイトルの原題は「You only live twice」で、小説のタイトルと同じだ。原作の中でボンドは日本で俳句を作るのだが、その一部分がこれなのである。
観終った〜。丹波哲郎の英語がカッコよかった。浜美枝が可愛かった。ラストシーンが印象的だった。
就寝前に日曜日の講演のための参考書籍を少し読んだ。かつて小説を書くためにすべて読んだ本だが、素晴らしい内容である。できれば、もう一度全部読んでおきたい。
2月11日(木)「ショックで落ち込み・・・の風さん」
今日は建国記念の日で、休みの人が多いと思う。34年間、完全週休二日制の会社に勤務していたので、こういった祝日の感覚は、退社したからと言って、(もうすぐ2年になるけれども)簡単には戻らない。
こつこつ続けているリンガフォンもユニット49を終えた。
天気がやっと回復したので、ランチ後、雑草移植の3回目を実施した。クルマの進入路を塞ぐ形に張り付けることができた。これから奥へ向かって厚みを増していかねばならない。気の遠くなる話だが、私の根気は平均値以上なので大丈夫だろう。
ここのところ冷え込んで灯油をかなり消費したので、キャメロンで灯油を買いに行った。これからドライブが続くので、洗車もした。
気合が入った状態で帰宅して、キャメロン専用のカーポートに縦列駐車しようとして失敗した。左前部を駐車場の柱にこすりつけてしまったのだ。ここの縦列駐車は私の自慢の一つで、大きなクルマでも入れていた。小さなキャメロンで失敗したということは、油断であり、驕りであり、否定できない老化でもある。
週末の講演の準備は大事なので、手を抜くことはできないが、大いに落ち込んだ。
2月12日(金)「初めてのイオン・・・の風さん」
天気が下り坂である。昨日の不注意な事故のために気分も下り坂である。当初の計画では、今日は待望の初売りツアーだった。
次女を駅まで送りついでに、ワイフとそのまま昨年オープンしたばかりの常滑イオンへ行った。昨年から夫婦そろってずっと超多忙な生活が続いていたので、正月の初売りはイオン、と話し合っていたが、1ヶ月以上も遅れたのである。こうなったら、初売りではない。ただ、初めてイオンを見に行ったという感じ。
のれん街の和食レストランでランチを食べ、シャトルバスでセントレアへ向かった。実は、セントレアでの買い物が今日の目的になっていた。東北や四国、九州のお菓子を販売しているので、それらが狙い目だった。イオンとセントレアの間は、イオンが用意している無料のシャトルバスがあり、これを利用できるのも大きなメリットだった。なぜなら、マイカーでセントレアに行く場合は、往復の有料道路代720円と駐車料金が必要になるからだ。お菓子を買うためだけに行けるわけがない。
予定通りお気に入りのお菓子をたくさん買って、またシャトルバスでイオンに戻った。
その後、イオンでたっぷりウィンドウショッピングをし、コーヒータイムも楽しんで、ワイフのアクアに乗り込んだ。
週末はピアゴでは会員割引があるので、食材を購入して帰宅した。
のんびりした1日を過ごしたように見えるが、昨日のショックを癒すには必要な時間だった。
夕食後、14日の講演のスライドがほぼ完成した。やらねばならないことは、やらねばならないのだ。
2月13日(土)「手術の事前説明・・・の風さん」
やや早起きして、明日の講演の準備をほぼ終えた。主催者側からのありがたい後押しもあって、いつものように本の販売をするので、大量にサイン本を用意したのだ。しかし、どれだけ売れるかは、全く予想が立たない。
インスタントラーメンで昼食にして、キャメロンで出かけた。空は、いつ降り出すか分からない空模様だ。しかし、私はわざとヒーターを入れて足元を暖め、運転席側の窓を全開にして走った。
目的地は大腸ポリープを切除してもらった病院。実は十日後に手術を受けるので、主治医からその説明を聞くのが目的だった。
家族を連れてくるように言われていた。ワイフは多忙なので、長女を連れて来る予定だった。ところが、その長女は、昨日、昨年手術を受けた病院に行って経過診察を受け、あまり芳しい結果でなかったため、私の同行をやめていた。
どうも色々なことが下り坂である。
私はしっかり説明を受けた。入院は2泊3日の予定とのことだが、痛みは2週間くらい続くだろうとのことだった。人生で何度も手術を受けている私は、外科的な苦痛には慣れている。諦めもよい方だ(笑)。とにかく、この時期しかタイミングがないのである。
説明を聞いている間に、雨が降った。帰りにまたGSに寄り、灯油も買ったが、キャメロンにも満タン給油した。レギュラーガソリンは、セルフ給油価格が99円だった。
講演の準備はほぼできているので、余裕をもって講演スライドを2回流して確認できた。明日は天気がかなり悪そうで、客足が心配だった。主催者側はかなり前から着々と準備を進めてきたのである。その努力が報われることを祈っていたが、お天道様には人間は勝てない。
そして、自分の本が売れるかどうかも、もし客足が少なかったら、全く期待できないことになる。
2月14日(日)「ゴールドフィンガー・・・の風さん」
日本全国かなり広範囲に大荒れの天気予報だったが、当地は雨が上がり、風も弱まっていた。
8時45分に自宅を出発した。目的地は静岡県で、昨年来、通算3度目になるが、スポット的には違うは、位置はだいたい近い。距離的には自宅から150kmほどだ。
昨日、新東名「浜松いなさ〜豊田東」が開通した。これまで岡崎と三ケ日の間が、しょっちゅう渋滞になり、問題だったが、今回の開通はその解決策として期待できる。
私の目的地は旧東名のインターチェンジ近くにあるので、開通したばかりの新東名は走らなかったが、明らかに交通量が減っていた。東京方面へ行くときは、これまで以上に走りやすくなるだろう。
天気は回復したかと思われたが、走行中に変化が激しかった。休憩地点の浜名湖SAでは全く雨の心配はなかったのに、目的の袋井インターチェンジに近付くと土砂降りになった。
11時に現地入りし、大量に持参した本も係員の協力で、特設販売コーナーに並べられた。
私の講演の後は、パネルディスカッションになる。そのメンバーも含めて弁当を食べながら、事前打ち合わせをしたが、十分な打ち合わせとは言えなかった。その理由はなかなか難しい。個性的なキャラのメンバーが含まれていたから、としか言えない。
あっという間に講演の時刻になった。私は会場に紛れ込んでいて、司会者の講演開始の声で、客席から舞台へ駆け上がるというパフォーマンスをした。今日のイベントは「元気シニア・シンポジウム」なので、62歳の講演者のこのパフォーマンスは意味があると思った。
ところが、この後、予想外のことが起きた。講演準備はバッチリと思われたのに、時間内に話を終えることができなかったのだ。だらだら喋ったわけではない。むしろ、喋りながら簡潔過ぎるくらいだと思っていた。
結果として次のパネルディスカッションの開始時刻を5分も遅らせてしまった。
私は大いに反省し、また激しく落ち込んだ(あとで何度も何度も考えた結果、スライドの枚数は十分少なかったが、それぞれの密度が高過ぎたことが主原因だと結論した)。
シンポジウムの終わりごろは、拙著の販売コーナーで、お客さんと交流して過ごした。失敗講演を何とか穴埋めしたかった。
本はありがたいくらい売れた。これだけ売れたら満足というくらい売れた、ということである。
帰る頃には雨も上がっていて、来た時と逆に道をたどって、休憩も同じ浜名湖SAでとって、午後8時に帰宅した。
夕食後、もらったバレンタインのチョコをありがたく食べた。
落ち込んでいて何もやる気が出なかったが、こういう時こそ、とまた007の映画を観た。「ゴールドフィンガー」である。原作は、かなりのページ数をゴルフの勝負に使っていて、初めて読んだ中学生時代、ゴルフって面白そうだな、と思ったものである。大学生のころは、ジャンボ尾崎などが活躍していて、よくテレビ観戦をしていたが、結局、実際のゴルフとは縁のない人生をこれまで送って来た。なぜなら、就職したとき、プロ作家になるために、ゴルフには手を出さないと決めたからだし、プロデビューした後も、一流の作家になるまでゴルフはやらないとあらためて決めたからだった。
やっぱり007はショーン・コネリーに限る。
2月15日(月)「久々に雑務をたっぷり・・・の風さん」
2ヶ月に1度の通院の時期がきた。かかりつけの内科である。週明けはたいてい混んでいるので、比較的遅い時間に行く。
ところが、大混雑だった。インフルエンザの患者が大発生しているとのことだった。ワイフからも注意されていたので、マスクをしっかり装着して待合室に入った。待ち時間は長かったが、音なしでラインゲームをしていたので、苦にならなかった。
やっと終わって、ホームセンターへ行った。防草シートとミニ脚立を購入した。
薬局に寄って、在庫がなくなった品物をいくつか購入した。今日はシニア割引の日だ。
さらに、銀行と農協のATMに寄ってから帰宅した。
昼食後、雑草移植の4回目をやった。
それから、たらたらと雑務を少しずつこなしていった。読みかけの本が1冊読了し、年明けから通算9冊目となった。毎年、スタートダッシュは良いのだが、後半に息切れしている。
知人から円周率がらみの質問があって、夕食後、その回答を準備し、メール添付して送った。
いよいよ児童文学の企画書の修正にとりかかった。明日の朝までに完成させて送る約束になっていた。これまで多忙で全く手が付けられなかったが、やっと取り組める。
本来の作家業になって真剣になり、夜はしんしんと更けていった。そして、冷え込んでいった。
2月16日(火)「ロシアより愛をこめて・・・の風さん」
昨夜の就寝は……今朝未明の午前4時半。かなり冷え込んでいた。起床は午前7時半。
名古屋へ行くワイフを送り、続いて次女を送り、それから朝食を摂ったが、もう寝る気になれなかった。
今日は徹底して屋外の仕事を進展させる覚悟だ。先ず、電動ドリルを充電。
内庭側のセンサーライトが壊れていたので、やっと新品と交換した。今やLEDランプの時代である。消費電力が一気に10分の1になった。これでログへの進入路の安全が少し回復した。
続いて、ログの入り口にメロディーチャイムを設置した。ドアに人が接近するとメロディーが流れるしくみだ。メロディーが10種類も用意されているのが特徴で、ログでトールでやる全員が好きそうなクリスマスソングにセットしておいた。
どちらも昨日購入したミニ脚立に乗って、電動ドリルで穴を開けたので、作業は効率よくできた。
昼食後、裏庭へ出動した。気温は低く風も吹いていたが、日が差していたので何とか作業はやる気が出る。さらにマスクをし、サングラスもかけて防護体制はバッチリだ。
最初に、裏庭の外周部、のり面に防草シートを張った。昨日購入した10m分である。専用の固定ピンで刺したのだが、何となくうまく行きそうな感じだ。一両日、様子を見て、大丈夫そうなら、さらに10m分を購入して、防草処理を拡張する。
続けて、クルマの進入路への雑草移植の5回目を実施した。気の長い話だが、あと10回くらいやっても終わらない気がする。
すっかり疲れてしまい(そもそも今日は寝不足だ)、夕方からまたショーンコネリーの007を観た。今日は「ロシアより愛をこめて」(1964年)だ。何といってもダニエラ・ビアンキの息を飲む美しさに魅了される。
2月17日(水)「やっと講義の打ち合わせ・・・の風さん」
昨日の睡眠不足を補うようにしっかり寝て起きた。これで肩の痛みがなければ、筋トレもできるのだが……。睡眠と運動は健康の基本だろうし、きっと仕事の効率も上がるはずだ。しかし、まだ本調子ではない。
午後、キャメロンで出かけた。薬局と家電量販店に寄って、愛工大自由ヶ丘キャンパスに田村先生を訪ねた。後期の講義報告と次年度の進め方の確認をした。ORのテキストで誘導の仕方が分からない数式があって、ご指導いただいたが、まだよく分からない。後で、もう一度、数式を追ってみたい。とは言え、先生がいるということは心強いものだ。
帰りにGSにも寄ったが、ひどく冷え込んできた。
往復の走行中にナビの電源が何度も落ち、いよいよ末期症状のような気がする。やれやれ。
今日は父の祥月命日だ。父は寒い朝、シャワーを浴び、髭を剃ったあと、洗面所で倒れた。死因は心不全。
今夜もベッドにもぐり、まだ眠りに落ちないうちに、悪寒戦慄が襲って来た。私も父と同じ死に方をするような気がする。
2月18日(木)「快晴の下で気持ちよく仕事・・・の風さん」
朝から快晴である。屋外の仕事を大いに進めなければならない。
裏の土地にある小屋までアクアを移動し、小屋の中の大きな荷物を処分するため、積み込み作業に取り掛かった。空けたスペースに次女の大学での荷物を入れるためである。
今日積み込むのは、木製品2つである。大事に保存しておけば、またいつか使えるかもしれない木製品だが、状況が変化したことで、処分することにした。ベビーベッドと子供のベッド(1段分)である。シートを倒して、アクアがいっぱいになった。
続いて、小屋の中の品物を片寄せした。まだ捨てるものはあるが、とりあえず、である。たくさんある茶箱を3段積みにしているときに事件が起きた。一番上に乗せて、横へずらしたら、ゴキが落下してきたのである。どうやら茶箱の底にへばりついて冬眠していたらしい。茶羽ゴキブリだった。茶箱との組み合わせで洒落にもならない。ひっくり返ってバタバタしていたので、冥途に送らせてもらった。
アクアと小屋、それぞれの内部の写真を撮っておいた。
そのままクリーンセンターへ運び、粗大ゴミとして処分した。
続けて、ホームセンターとドラッグストアに寄って買い物をし、最後にATMでお金の出納処理をした。
午後、墓参をした。昨日が父の祥月命日だったということよりも、毎月の定例行事に近い。
終わってから、境内の庭を散策し、白梅や西国の観音像を観て回った。人っ子ひとりいない境内を歩いていると、江戸時代にタイムスリップした気分になった。やはり私は時代小説家だ。
帰宅し、インスタントラーメンを食べた後、防草シートの設置の2回目と雑草移植の6回目をおこなった。
夜は、いよいよ確定申告の準備と1月の講演録の執筆に取り掛かった。
2月19日(金)「次女の修了作品展見学・・・の風さん」
今日も快晴。気温も高い。
ワイフと名古屋の長女のマンションへ行ってピックアップし、愛知芸術文化センターへ向かった。次女の名古屋造形大学卒展、大学院修了展を見学するためだ。
長女が見つけた割安の駐車場にアクアを止め、安心してゆっくり見学した。
高校の美術科の卒業展以来、次女の作品は作風が大きく変化している。テーマは自分のことらしい(長女の分析による)。これから先、どのように変化していくのか、全く予想が立たない。私は、次女が最も得意とするのは、人物像や動物ではないかと思っている。しかも、かなりリアリティのある油彩画である。しかし、なかなかそこへ収束する気配がない。
今日は建築デザインやポスター、マンガ、アニメーションまでたくさん見学したが、デザインは、長男が最初に卒業した名古屋芸大よりも、マンガやアニメーションは長男が二つ目に卒業した京都精華大学よりも、全体的に好感のもてる作品が多かったと思う。
ワークショップで缶バッジ製作にも挑んだ。
学生のアイデアらしいが、名前をひらがなで重ね書きしたものからドロネー分割により、三角形の多面体を作り、サンプリングによる平均化処理で多面体の数を減らして、宝石のような立体形状を作る。色付けして、名前をつけて缶バッジに仕上げるものである。家族4人全員が自分オリジナルの缶バッジを作った。なかなか面白かった。
先生の高評を受ける次女を残して、3人でランチを食べに行き、再び展示会場に戻った後、帰宅した。
ネット検索して、キャメロンの不調ナビの後継機種の仕様を確かめ、互換性があることが分かったので、思い切って発注した。
2月20日(土)「報告資料作成の難しさ・・・の風さん」
天気予報通りに雨になった。
最寄りの駅を7時44分発の電車で出発した。昔なら特に早い電車ではないのだが、今の私には早朝の出発である。子供のころから朝は苦手だったので、きっと死ぬまで老人モード(朝早く目が覚めてしまう)になることはないだろう。
土曜日なので、駅はそれほど混んでいなかった。
今日はJMAの生産技術マネジメント研究会なので、いつもの金山のホテルへ向かう。
午前中は、最終報告会へ向けて、チームミーティングの続き。私は、手帳を取り出し、今後のスケジュールやアクションアイテムの整理をしていた。外の雨はいっこうに止む気配がない。
昼食後もすぐアドバイザーの指導という段階に入れなかった。午後2時からやっと全体ストーリーに対して、助言をさせてもらったが、突っ込んだ内容になっていない(特に、他人事であり当事者つまり一人称で語っていない)と言わざるを得なかった。名大の小沢先生はやや手厳しく、中間報告会のときよりも後退しているとおっしゃっていた。けっこうフランクに話し合っていたチームなのに、踏み込んだ議論が発表スライドに反映されていないのは、なぜだろうか。
通常の仕事は問題を抱えながらも結果を出していく。ところが、その仕事を発表の形にまとめて、第三者へ迫力ある形で表現しようとすると、たちどころに行き詰まる。だからこそ、コンサルタントや広告代理店、作家といったプロの商売が成立するのだろうが、チーム活動でも(それなりの客観的な意見が出て収束していかないことが)起きてしまうのが不思議である。
チームは居残りとなったが、私と小沢先生は5時半に会場を後にした。
外は土砂降りで、膝から下、靴下までびしょ濡れになってしまった。
帰宅したら、昨夜発注したナビが届いていた。
おでんの晩御飯を食べた後、最低限のノルマをこなして就寝した。
2月21日(日)「1日あっても進まない・・・の風さん」
雨は上がったが風が強い。そして、五十肩が痛む。気休めにトクホンチールを塗っているが、ほとんど効果はなさそう。しかし、ロキソニンは飲まない。
今日から屋外の仕事のペースを上げねばならない。退院後、後遺症のためにしばらく体が動かないこともあり得るので、少しでも、という考えからだ。しかし、外へ出てみたら、思っていた以上に風が強く、帽子とメガネとマスクという完全武装でも、1時間が限界だった。
屋内の片付けもほとんど手が付けられなかった。悪環境下での屋外作業で疲労してしまったらしい。
このところ、iCloudの写真データをハードディスクに移動させる作業を、毎日少しずつ続けてきたが、今日でやっと2014年末までの分を完了させた。一段落である。これが今日の最大の収穫だから情けない。
あとはルーチンとして決めてある仕事をこつこつこなした。それだけではいけないのだが。
2月22日(月)「入院前夜・・・の風さん」
今日も薄曇りで少し風が吹いている。郵便局へ行く用事があったが、ワイフに頼んだ。長女は夕方から名古屋で用事があるが、今夜また帰って来てくれる。明日の私の手術のためだ。ありがたい。
外出が不要になったので、思いっきり仕事をしておこうと思った。
明朝までに届けておく改訂版企画書に昨日から手をつけているが、イマイチ、頭が冴えない。こういう時でも、とにかく作業を続けていれば次々にひらめきがあって、ちゃんとしたレベルで完成するのが普通だが、それまでがなかなかつらい作業になる。
それでも何度も途中で苦しい状態になるので、そういう時は違った仕事をしてみる。
明日のことを考えて、昼食はヨーグルトとポンカンだけにした。
それから、少しだけでも、と思って、裏の土地へ行き、雑草の移植作業の8回目をやった。1時間弱やったが、まだ先は遠い。
年内のセミナーについて、今日、いくつかの日程が確定した。
晩ご飯も湯豆腐程度にして、夜の9時に下剤を飲んだ。
企画書の改訂作業はその後も続いた。途中で長女が帰宅し、就職の内定が決まったと報告に来た。面接した相手からの印象では良い職場らしい。先ずは、ひと安心。
私の作業が終わったのは、結局、午前1時半ころで、送信完了後、もよおして来て、下剤の効果が確認された。
今日は、確定申告の準備と講演録の続きができなかった。
入浴しながら「仕事がのろいな」とため息が出た。
2月23日(火)「手術は無事終了・・・の風さん」
8時20分にアクアで家を出発した。ワイフと長女が一緒なので、ドライブ気分だ。天気も上々。
指定時刻の10時に病院に着いた。
個室を希望していたのだが、昨年よりも上等な部屋が与えられた。風呂とキッチン風の流しまで備え付けてある。
看護師も親切で待遇が良いので、ワイフも長女も安心していた。
気になるお尻の手術を受けるわけだが、すべては術後(たぶん痛みとの戦い)から始まると覚悟していたので、きわめて平静だった。
看護師が手術室の中でのことまで、事前に写真を見せながら説明してくれた。しかし、事前に、手術の経験を聞かれて、たくさん回答したのが評判になっていたらしく、相手も安心していたようだ。手術に関する私の最大の心配は、五十肩の痛みが悪化することだった。
五十肩を痛めないような姿勢を工夫してくれて、手術は始まった。しかし、じきに鎮静剤を投与されて意識を失ったので、消毒された後のことは覚えていない。
目覚めたのは病室のベッドで、5時間近く寝ていたらしい。痛み止めも効いているようで、痛みはほとんど感じなかった。
普通の夕食が配膳され、いつものように完食した。空腹だったせいもあり、美味かった。
主治医が来て、予定よりたくさん切ったので、退院は木曜日でなく、来週の月曜日にしましょう、ということになった。
最長1週間を想定してこの日を決めていたので、仕事は大丈夫だろう。ただし、入院の準備は足りないものがいくつかある。
ワイフと長女を見送ったあと、さあ、読書か仕事か、何かするぞ、と気合いが入ったが、横になったら、いつのまにか眠ってしまった。
2月24日(水)「入院2日目・・・の風さん」
6時に看護師が来て目が覚めた。しっかり寝たということは、やはりそれなりに体力を消耗していたようだ。
昨日は痛みはほとんどなかったが、今朝はちゃんと感じる。生きている証拠だろう。それにしても、この程度の痛みで済むなら、何の心配もいらないな。
8時に食堂へ行き朝食を摂った。昨夜ほど充実した献立ではなかったが完食。
薬を飲んだり検温をしたり、自分でもやることはある。
iPhoneでメールチェックした後、電話もした。今秋出版を目指す本の関係で、貴重な情報がいくつかあった。追い風である。
看護師の血圧測定もときどきあるが、きわめて正常というか低いくらいだ。ロキソニンの効果もあって痛みはわずかだが、相変わらず出血は続いている。
合間に読書も開始した。不思議なほど時間が早く経過する。
夕食後、初めてシャワーを浴びてみた。慎重にやってみたが、患部にシャワーを当てても痛みはなかったし、出血も見られなかった。ひと安心。
最大の不安は排便なので、今日は朝からせっせとスポーツドリンクを飲んでいる。
消灯時間になって、仕事を始めようとしていたら、看護師が見回りに来た。
「消灯時間ですよ」
止むを得ず、10時半に就寝した。
2月25日(木)「ドクター・ノオ・・・の風さん」
朝食後ついに快挙を成し遂げた。トイレで初ウ○チ(笑)。
シャワートイレの水勢がきついことが分かっていたので、どうしようか悩んでいたが、風呂のシャワーを利用することを看護師に教えられ、決心した。
最初の食事後から便が柔らかくなる薬をもらっていたし、スポーツドリンクをせっせと飲んでいたから、その効果も絶大だった。
すべてがうまく行った。そして、今朝から出血の程度が減少したこともあって、急に気分も良くなった。
一日に三回以上測定される血圧や体温も全く正常なので、これからどんどん良くなるという期待感がわいた。
機嫌がよいと看護師とも饒舌に症状を説明してアドバイスが得られる。次の課題は、自分で座薬を注入することだが、退院が延びたので、当分は看護師と医師がやってくれることになった。
昨日の出版社との電話で、企画書を修正する約束をしていたので、時間を見つけて取り組んだ。文章の変更は容易だったが、挿入してある画像の差し替えが大変だった。一つはネットから見つけて使用した。もう一つは算額に使う数学の問題で、適当なものを考え、自分で絵を作成した。こんなことをやる作家は私くらいだろう(笑)。
夕食後シャワーも浴びてすっきりし、ついにMacBookAirでビデオを観た。007シリーズ「ドクター・ノオ」である。
ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーが若くてカッコいい。
看護師に注意されないように、午後10時の消灯時刻に寝た。
2月26日(金)「軟膏も自分で注入・・・の風さん」
今朝も、朝食後にもよおしてきて、見事に快通。薬と水分補給の効果も確認できた。
とはいえ、交換するたびにパッドは汚れている。
昨夜考えた算額の問題の条件を間違えたことに気付いたので、慌てて修正し、出版社へ差し替え依頼のメールを送った。
あとで電話で話したが、その前に、すごい情報が届いた。
私が書いた書き出しの第一章を小学校5年生の生徒150人が読んでくれ、感想を整理した書類を送って来てくれたのだ。整理したのは先生である。
やや難しい部分はあるものの、ほとんどの子が「先が気になる」「もっと読みたい」という意見だった。
これにより、私がものすごく力づけられたのは言うまでもない。
病院のペースにほぼ乗って来たので、読書のピッチを上げることにした。今回は、読みかけの本を3冊持参してきている。退院が延びたので、読了するにはちょうどよい分量だろう。
昼休み中にシャワーを浴びた。これから1日2回にする。患部を清潔に保つためだ。
午後、ワイフが着替えを持って来てくれた。子供らの感想文も見せた。「がんばらなくちゃね」
この病院ではおやつの時間もあり、今日はうぐいす餅だった。ただし、餡はまるで甘くない(笑)。
うらやましがったワイフは、どら焼きを食べて帰った。
夕食後、またシャワーを浴び、その後、初めて自分で軟膏を注入した。看護師に教えてもらった方法を使って、見事に成功した。
就寝時刻の10時ギリギリまで、時間を見つけては読書した1日でもあった。
2月27日(土)「ぜいたくな時間・・・の風さん」
起床時刻の6時少し前に起きた。外はまだ暗い。しかし、カーテンを開けて、病室の記念写真を撮っておいた。
3日連続で朝食後快通。
昼食後シャワーを浴びて、軟膏も注入。すべてのプログラムをてきぱきとこなしている。
直後、主治医の回診もあって、順調なことを確認。しかし、本人の自覚症状としては変化はほとんどない。患部は腫れている。
今年は閏年なので明後日の退院は29日(月)である。3月は行事が非常に多い。それら全部に取り組むのかどうか、かなり悩んでいる。予後の心配ではない。本当にやることが多いからだ。
今日、来月の学会のプログラムを確認した。最後まで迷っていたが、発表聴講はやはり断念することにした。部門長が元部下なので、退院したらお詫びのメールを入れよう。
あと一つ迷っているのが、3月末に京都で開催される某研究会である。出席すればそれなりの収穫があると思うが、それまでに仕事をこなせているかどうかが問題だ。この決定はもう少し後にしよう。
てきぱきと1日のプログラムをこなしながら、読書にいそしんだ。こんなに自由に読書に時間が使えるなんて、なんて贅沢なんだろう、と思う。
就寝までに3つとも半分以上読み終わった。明日のラストスパートが楽しみだ。
2月28日(日)「読書三昧の結論・・・の風さん」
起床は6時。なんて健康的な生活なのだろう(笑)。
しかし、今朝は快通がなかった。残念だ。今日は退院前日、すべてが最後の日となるのに。
読みかけの3冊を読了するのも、今日の目標だ。
先ず、1冊、新書を読み終えた。江戸時代の歴史資料である。勉強になった。
続けて、中国に関する資料。1989年6月4日の天安門事件(血の日曜日)に関する詳細な解説と考察。『中国の悲劇』。故中嶋先生の名著だ。中国というか共産党政府の本質や体質を明らかにしている。あれから20年以上経過しても、それは全く変わっていない。
昼食までにそれも読み終わった。
最後の昼食はボリュームが増えていた。ただし、日曜の今日は、おやつはなし。先生の回診もなかったし、部屋の掃除もなかった。
シャワーを浴びて、パッドも交換し、軟膏も注入して、3冊目に取り掛かった。
かなり読み進んだところでワイフが着替えを持って来た。
今日はおやつがなかったので、入院して初めてコーヒーを飲んだ。土曜日からならいいだろう、と看護師が言っていたので、日曜ならなおOKだろう。
インスタントだったが、久しぶりだと美味い。
入院生活の実感として、老人ホーム生活のシミュレーションだという感想を述べた。物に執着しなければ、最小限の身の回り品で生きて行けるのだ。
かつて亡き母の介護を検討し始めたとき訪問した春日井のホームを思い出しながら語った。
夕食前にワイフが帰った。これから不要な物をたくさん持って帰ってもらった。
最後の夕食はカツ丼だった。初めてご飯の硬さが普通になった。ボリュームも普通で、明日から退院してよいという病院側のメッセージだろう。
またシャワーを浴びて、少しずつ片付けも続けた。
とうとう3冊目も読了した。翻訳児童文学と思って買ったら違っていた『国を救った数学少女』である。世界レベルの歴史小説だった。面白かった。私の歴史小説もこれくらいのスケールになれば、さらに価値が増すだろう(『怒濤逆巻くも』は匹敵する)。頑張らねば。
これで年が明けて2ヶ月で読了が12冊となった。
入院中に読書していて感じたことは、こんなに時間があってもこれくらいしか読めないという実感だった。ついつい会社員生活の延長で、どんどん課題設定して仕事を作ってしまうが、もうその仕事をやるのは自分しかいないのだから、今後は課題設定よりも仕事の消化に軸足を移すべきということだ。
そして、書斎というか書棚を振り返ったとき、いかに多くのまだ読んでいない貴重な資料があるか、ということにも気付いた。
懸案だった来月末の研究会への参加も中止しようと思った。
就寝前にiPhoneで電子書籍を読み始めた。この間購入したミステリだが、なかなか面白い。
2月29日(月)「退院・・・の風さん」
今朝も、まだ暗い6時に起床。
夜10時に就寝していれば、朝の6時前にはいつでも起きられる態勢になっているのは当然だろう。ふだん、早寝ができないのが情けない。それより、読書習慣をつけなければ。
本当に最後の朝食を摂り、病室へ戻って薬を服用し、歯を磨くなどしているうちに、うまい具合にもよおしてきた。1日おいて、快通があった。しかし、分泌物とわずかな出血は続いている。痛みはさらにおさまってきているが。
主治医の回診があって、退院が正式に決まった。まもなく医療費の請求書が届いた。想定していた額でありがたい。
病室の片付けをほぼ終えて待っているところへワイフも到着。
いよいよ退院だ。入院中に残念だったのは、昨日一昨日の澤田酒造の酒蔵開放を見学できなかったことだけだな(笑)。
ワイフの運転するアクアの助手席に座った。たまにはこういうこともある。
この1週間見られなかったどんよりした空だった。低気圧前線が日本列島を通過するそうで、雨が降って来たかと思ったら、大粒の霰が交じり出した。アクアのボンネットやアスファルトの路面上を楽し気に跳ね回る。
和風スパゲティのレストランでランチをした。平日のこういう場所は女性だらけが普通だが、ここは男性や夫婦連れもいた。
病院で少量・低カロリーに慣れているので、まともなランチは、食べるのに時間がかかる(よく噛むから)。
帰宅して、片付けを終えたところで、すっかり疲れてしまった。いきなり社会復帰はできないようだ。
病室はだいたい22℃前後に調節してあったが、自宅内は高くても20℃である。寒く感じる。
夕方、少し寝た。
激辛食べ物は禁止されていたが、晩御飯は辛さを抑えたカレーうどんだった。満腹にならないうちにやめて、水分はしっかり補給した。
冷え切った書斎に入ったが、やはり仕事をする気力が出て来なかった。
それでも、少しだけ雑用をし、シャワーを浴びて、午前1時過ぎに就寝した。
2016年3月はここ
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